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素人書評『太陽の塔』森見登美彦

お題「素人書評」

いつもオタクイベントの備忘録ばっかりだけど、1つ前の記事で素人書評なるマイお題を作って好きな絵本のことを書いたら、なんかスター⭐️をもらったので、調子に乗って素人書評2回目を書きます!イェーイ!自分が楽しいだけ!みんなお題使って!!!

この記事の書評は結構自信あって、というのも高校3年の時に、文系の授業で書評を書く課題が出て、たしか授業内に終わらないくらい結構熱心に書いてて、それで満点💯もらったからそこそこよく書けてたんじゃないかな〜と思う!懐かしい、その授業の先生強面の野球部顧問て、体も大きかったんだけど目がつぶらで可愛かったなぁという思い出……( ・ᴗ・ )

 

前置きはこの辺にして書評書くよ~!!

 

 

 

太陽の塔』書評

 

太陽の塔――1970年の大阪万博岡本太郎が作った見る者を圧倒させる巨大アート。それぞれ未来、現在、過去を象徴する三つの顔を持ち、人間の尊厳と夢幻の発展を表現したとか。そんなインパクトある「宇宙遺産」をタイトルにした本書は、森見のデビュー作にして、第十五回日本ファンタジーノベル大賞受賞作品である。

森見作品の一番の魅力は、やはり作者が持つ独特の世界観と特徴的な文体であろう。

 

あまりになめらかに湾曲す体格、にゅうっと両側に突き出す溶けたような腕、天頂に輝く金色の顔、腹部にわだかまる灰色のふくれっ面、背面にある不気味で平面的な黒い顔、ことごとく我々の精神を掻き乱さぬものはない。

 

これは太陽の塔を描写した一文であるが、これだけ抜き出してみても、彼のボキャブラリーの豊富さに驚かされる。森見の一ファンだという漫画家、羽海野チカはその特徴ある古風な言い回しを「何度も口に出したい日本語」と評し、また読者の多くはそれを「森見節」と呼称する。森見の作風に大きく影響を与えたのは、研究室をやめた大学四回生からの二年間「空白のむにゃむにゃ時代」に人生の答えを探し求め出会った内田百閒である。大学に入った頃は小説というものはもっと美しいものであって、本書のような笑わせるものだとは考えていなかった森見だが、その空白のうちに百閒の『冥途・旅順入城式』を読んだことが、こういう書き方もあるのかという、真面目に考えるきっかけになったという。

 

無人駅は木立の中にあって、葉の隙間から漏れてくる光がコンクリートをまだらに染めている。風がゆるく渡るたびに微かに光が震えた。

[‥‥‥]

木立を抜けると、野原に出た。野原のまわりは、うるうると水を含んで盛り上がるような森に囲まれていた。広い皿の底にいるようである。その皿の底には冷たい液体が溜まっていて、その液体をかき分けながら皿の底を進んでいるような気がする。

 

物語は京大生である主人公の「私」が、元ガールフレンドの「水尾さん」の追っかけという日課をこなしつつ、「クリスマスという怪物」が闊歩している京の都を無闇矢鱈に疾走し、時に無限に広がる妄想を交えながら、もやもやとした大学生活の日常をじっくり語るスタイルで進んでゆく。上に抜き出したのは、諧謔的な森見節がこれでもかと炸裂するイケてない日常とは打って変わった雰囲気漂う、水尾さんの夢のなかである。主人公はひょんなことから叡山電車に乗り、彼女の夢を訪れることになる。水、光、風など「春めいた」表現が散りばめられた夢の中は、現実世界とは対照的に描かれ、水尾さんが持つ世界への憧れが垣間見える。

 

得意の森見節で次から次へと展開する「ゴキブリキューブ」「ええじゃないか騒動」などのさえない事件の数々と、めくるめく妄想で構成されるフラれた男子大学生の独白小説は「等身大の人間」を生き生きと映し出している。万物のエネルギーの象徴である「太陽の塔」に勝るとも劣らない魅力を持つ本書は、私にもっと自由に、強く、等身大で生きることを教えてくれる。

 

 

新潮社

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